第7回「釈迦寺こころの会」を開催しました

第7回「釈迦寺こころの会」を10月26日(水)釈迦寺稲毛別院において開催いたしました。
当日は秋晴れの気持ちの良い一日でした。
法話会のファンの方々も徐々に増え、多くの方のご参加を有難く思い心より感謝申し上げます。
「釈迦寺こころの会」は、悩み多い現代をより良く生きるために「仏教の智慧(ちえ)」を人生に活かすための分かりやすい勉強の場です。

 

当日は、萬徳院釈迦寺 関東本院 小林玉明 住職の司会・進行で始まり、稲毛別院 黒田夢道 住職の挨拶、そして、第一席は江島靖秀 僧侶の「神道のお話」で、内容は日本の信仰の原点のお話でした。
第二席は、土田明佳 尼僧による「私の仏道」と題して、豊富な経験の中から身近な法話をいただきました。
次の法話からは、今、世間で一番親しまれ、大変ポピュラーな存在の「般若心経」について集中的に取り上げ、それぞれの立場で解説していただきました。

まず、小林住職による分かりやすい「般若心経」の解説として、全体的なお話と特徴のある部分について解説していただきました。
次の第四席では、西川則明 僧侶が継続している「寂聴・痛快!仏教塾」の読み解きを、今回は第七章「般若心経入門」と題して、新たな機軸も加えた読み解きがありました。
第五席は、「般若心経」について、釈迦寺教務課 高田良海 僧侶の方から、クイズ形式による和やかな法話をいただきました。
最後は、今野先生による瞑想で気持ち良く終了となりました。

参加者からは、「今日は来て本当によかった」「般若心経のことが少し分かって嬉しい」「毎回欠かさず出席します」「とても心が穏やかになりました」など、多くの感謝と喜びの声をいただきました。次回は11月9日(水)を予定しています。

初めての方も、是非お気軽にご参加ください。お待ちしております。

釈迦寺こころの会第7回 2釈迦寺こころの会第7回 3釈迦寺こころの会第7回 4

釈迦寺こころの会

合掌

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[INDEX]

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【1】ごあいさつ

【2】『般若心経』難しいのは当たり前?

【3】般若心経【なぞなぞ篇】

【4】般若心経【標語篇】

【5】おわりに

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[1]:ごあいさつ

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本日より、釈迦寺・仏教綜合学院によるメール・マガジンを発刊いたします。

通常の内容は、『仏教初歩入門』の解説、仏典から学ぶ人間学、仏教書の紹介、

釈迦寺僧侶のつぶやき、読者による投稿などで構成する予定です。

今回は手始めとして、『般若心経』をめぐるお話です。

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[2]:『般若心経』難しいのは当たり前?

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『般若心経』は、迷いにある私たちを悟りへと導くに充分な内容を有しています。

「簡にして要なり、約やかんじて深し。誦持・講供すれば、すなわち抜苦与楽し、

修習・思惟すれば、すなわち得道起通す。甚深の称、誠によろしくしかるべし」

とは弘法大師・空海のことば。『般若心経』は難しいのは当たり前。

だけど『般若心経』は、私たちにとって、最も身近なお経。

ここでは『般若心経』の核心に触れることのできる、なぞなぞ、または標語を

作成してみました。

がんじがらめになったお頭(つむ)を柔らかくして、お楽しみください。

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[3]:般若心経【なぞなぞ篇】

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Q1. 「心無?礙」についてのなぞなぞです。とるべき心の「しみ」は?

(答えは三つあります。)

 

【答え】

苦しみ、憎しみ、悲(かな)しみ。苦しみを楽しみに、憎しみを慈(いつく)しみに、

悲しみを憐(あわ)れみに、変えることができますように。

 

Q2. 年をとればとるほど近くなるものは?

(人によって答えはそれぞれです。)

 

【答え】

新聞紙(老眼が進めば、知らず知らず、新聞紙に顔を近づけてしまいます。)

他に、死、トイレなどがあります。老いは嫌なものですが、嫌がるばかりでは

どうしようもありません。

老いを受け入れ、無理はせず、実りある、静かな最期に向かいたいものです。

 

Q3.きれいにすればするほど汚れるものは?

(小学生でも答えられる、古典的ななぞなぞです。)

 

【答え】

雑きん。珍回答として、「お肌」がありました。そのこころは?

一生懸命にお化粧をしてきれいにしているのに、時にはお肌にダメージを

与えてしまいます。皆さま、気を付けましょう。

 

Q4. 目を閉じて、耳を塞(ふさ)げば、見えて、聞こえてくるものは?

 

【答え】

人の素直な気持ち、自然のありのままの姿、など。

「目を閉じて何も見えず」とは谷村信司さんの「昴」の一節。

しかし一日中、目はいろんな色・形を見っぱなし、耳は音を聞きっぱなしでは、

情報にながされてしまいます。一日のうち、数分だけでも、目を閉じ、耳を塞ぎ、

自らの心を顧みる時間の余裕を持ちたいものです。

これは「無眼耳、云々」に関するなぞなぞでした。

「きらびやかな色彩は目をまどわせ、妙なる音楽は耳をくるわせ、

美味は舌をまひさせる。ゆえに聖人は心を本として目を本としない。」『老子』、

「心だけが、正しくものを見ることができるのさ。ほんとうに大切なものは

目には見えないんだよ」『星の王子さま』

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[4]:般若心経【標語篇】

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「不生不滅」は、生命(いのち)の大きな流れとしても理解できます。

決して無から有は生じません。有であるものは、たとえ消えてしまったとしても、

無となった訳ではありません。そこで標語。

「今年はお爺さんの七回忌。可愛い初孫、生れました。」

「産婦人科病院の前の道を走り抜ける、霊柩車」など。

毎日のように多くの人が逝去し、また多くのいのちが生れています。

それは人間だけでなく、いかなる生きものも同じこと。

そしておそらく宇宙天体でも、どこかの星が消滅し、いずれかの星が誕生して

いるのでしょう。生命(いのち)の流れは、途絶えることはありません。

 

「不増不減」。増えたり、減ったりするのは当たり前。

決して増える一方ということも、減るばかりということもありません。

だけど、私たちは貯金を増やすことだけを考えています。だから『心経』は

「不増不減」と教えてくれるのです。そこで標語。

「豊かさを味わうためには量ではなく、満足する心が必要不可欠」

 

「不垢不浄」は「垢つかず、浄からず」と読みます。いつまでも汚れたままではなく、

また綺麗な状態を保たれるわけないと理解することもできます。

たとえば、靴下が汚れたなら、洗えばいいのです。穴があけば繕(つくろ)えば

いいのです。

また車を新しく買ったならば、いつまでも新品の状態をキープしようとやっきになり、

少しでもキズがつけばがっかりしてしまいませんか。「不垢不浄」とは、私たちの物に

対する執着の心に反省を促しているのです。

「汚れれば洗えばいい、壊れれば直せばいい、物は最後まで大切に使うがいい」

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[5]:おわりに

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最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

みなさん、第1回目のメールマガジンはいかがでしたでしょうか?

今後も仏教を通じて、生きていくための糧となるようなお話をご紹介していきますので、

楽しみにしていてください。

10月28日発行の「萬徳院 釈迦寺メールマガジン 第1号」に掲載いたしました般若心経【なぞなぞ篇】の解答です。

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Q1. 「心無罣礙」についてのなぞなぞです。とるべき心の「しみ」は?(答えは三つあります。)

?【答え】
苦しみ、憎しみ、悲(かな)しみ。苦しみを楽しみに、憎しみを慈(いつく)しみに、悲しみを憐(あわ)れみに、変えることができますように。

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Q2. 年をとればとるほど近くなるものは?(人によって答えはそれぞれです。)

?【答え】
新聞紙(老眼が進めば、知らず知らず、新聞紙に顔を近づけてしまいます。)
他に、死、トイレなどがあります。老いは嫌なものですが、嫌がるばかりではどうしようもありません。
老いを受け入れ、無理はせず、実りある、静かな最期に向かいたいものです。

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Q3.きれいにすればするほど汚れるものは?(小学生でも答えられる、古典的ななぞなぞです。)

?【答え】
雑きん。珍回答として、「お肌」がありました。そのこころは?
一生懸命にお化粧をしてきれいにしているのに、時にはお肌にダメージを与えてしまいます。皆さま、気を付けましょう。

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Q4. 目を閉じて、耳を塞(ふさ)げば、見えて、聞こえてくるものは?

【答え】
人の素直な気持ち、自然のありのままの姿、など。
「目を閉じて何も見えず」とは谷村新司さんの「昴」の一節。
しかし一日中、目はいろんな色・形を見っぱなし、耳は音を聞きっぱなしでは、情報にながされてしまいます。一日のうち、数分だけでも、目を閉じ、耳を塞ぎ、自らの心を顧みる時間の余裕を持ちたいものです。
これは「無眼耳、云々」に関するなぞなぞでした。
「きらびやかな色彩は目をまどわせ、妙なる音楽は耳をくるわせ、美味は舌をまひさせる。ゆえに聖人は心を本として目を本としない。」『老子』、「心だけが、正しくものを見ることができるのさ。ほんとうに大切なものは目には見えないんだよ」『星の王子さま』

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さて、皆さんはどれくらい解答できたでしょうか?次回のメールマガジンもお楽しみに。

11月の「坐禅会」及び「写経会」の日程変更のお知らせ
平素は、萬徳院 釈迦寺の護持運営にご高配ご尽力を賜り、厚くお礼申し上げます。

毎月第3火曜日に催しております「坐禅会」及び「写経会」ですが、11月の両行事について11月15日(火)から、11月8日(火)に変更となりました。

急な変更により、ご参加予定の皆様には大変ご迷惑おかけいたしますが、何卒ご理解の程、宜しくお願い致します。

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