お盆のおはなし

2012年07月31日

お盆のおはなし

毎年お盆の時期になりますと、ご先祖様の霊を供養するため、大勢の方が、遠くからも故郷のお墓やお寺にお参りにいらっしゃいます。

お盆とは、昔から日本人になじみのある夏の風物詩ですね。

お盆とは、正式には「盂蘭盆(うらぼん)」と言います。もともとは、古いインドの言葉で「ウランバナ」という言葉が漢字に音写されたもので、意味は、「さかさまに吊るされるほど激しい苦しみ」という意味です。つまり、これほどまでの苦しみを取り除くための法要が、お盆の行事なのです。

「盂蘭盆経」というお経によりますと、お釈迦様のお弟子である目連様が、ある日、亡くなった自分のお母様がどうしているのか知りたくて、神通力でながめてみました。すると、お母様は餓鬼の苦しみを受けているではありませんか。食べ物や水があっという間に燃えて、何も口に入らないのです。生前はとてもやさしい人だったお母様が、なぜ餓鬼の苦しみを受けているのか、どうすれば救うことができるのか、目連様は、お釈迦様のところへとんで行きました。

すると、お釈迦様はこうおっしゃいました。

「目連よ、おまえのお母様は決して悪い人ではなかった。しかし、おまえにだけやさしく、平等ではなかったのだよ。その自分勝手な行いのため、餓鬼の苦しみを受けているのだよ。お母様を救いたいならば、お坊さんたちの修行の終わる七月十五日に、たくさんのお坊さんたちに、平等に食事などをさしあげて、供養することだ。」とおっしゃいました。

その通りに目連様がすると、お母様は、餓鬼の苦しみから救われたということです。

さらにお釈迦様は、

「毎年七月十五日に、ていねいに供養すれば、多くのご先祖様が喜び、今生きている人も幸福を得ることができるだろう。」とお説きになられたのです。

これがお盆のはじまりです。お盆の行事は、主に、月遅れ(旧盆)にて八月に行われます。場所場所によって少しずつ習慣が違いますが、ご先祖様の霊をお迎えし、供養さし上げることには変わりありません。

また、お盆の時にたくさんのお坊さんが行う「施餓鬼法要」とは、餓鬼の苦しみを受ける多くの霊を供養し、その功徳をご先祖様に廻向する為に行うものです。決してご先祖様が餓鬼に生まれているという訳ではありません。

自分にいのちを授けてくださったご先祖様に感謝し、いのちのありがたさを見つめる行事がお盆です。そして、お釈迦様がおっしゃった「平等」という言葉をかみしめて下さればと思います。

合掌

去る7月26日~27日、第8回「お寺で学ぼう」が釈迦寺小室大寺院で開催されました。

当日は炎天下のなか、42人(男子22人、女子20人)の小学生が参加。

お経の練習や写仏、自分の願い事や将来の夢を書いて発表し、護摩(ごま)で祈願する行事など、お寺ならではの体験をしました。

なれない正座は大変だったようですが、誰一人として怪我もなく、無事に終了できました。

帰宅後、保護者の方から「子供が家で仏壇の前で手を合わせたり、食事の時に作法をするようになった」と喜びの感想をいただきました。

第8回お寺で学ぼう1第8回お寺で学ぼう2第8回お寺で学ぼう3

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いつも「釈迦寺メールマガジン」をご愛顧頂きありがとうございます。

この度、諸般の事情により「釈迦寺メールマガジン」の配信をしばらくの間休止させていただくこととなりました。

毎月、楽しみにしていただいている皆さんには大変申し訳ありませんが、配信再開の祭には、改めてご連絡をさせていただきますので、何卒ご了承の程、宜しくお願い致します。

最後になりましたが、これまでのご愛読いただき、心より感謝申し上げます。

日時:平成24年7月11日(水)
場所:萬徳院釈迦寺 稲毛

第一席は「仏像の心と形Ⅱ 菩薩~いずれも仏ならざるはなし~」と題し、平野将祐師によるお話でした。観音菩薩さまのお像を前に、単なる美術としてではなく、信仰の対象としての菩薩さまについて詳しくお話いただきました。

続いて時節がら「お盆」の事を中心に質疑応答の時間を設けました。お盆は民俗行事でもあります。ゆえに地域により時代により複雑で多様な姿をとります。事例を挙げつつ解説がなされました。

最後に恒例の『仏教聖典』(仏教伝道協会)を皆で読誦。今月は「おしえ」の「第三章 さとりの種」でした。声を出して読み上げることは、心にも体にもとても心地よいものがあります。ぜひ多くの方々に体験していただきたいものです。

来月の特集は「仏教・紙芝居」です。楽しく分かりやすく、仏さまの教えを学びます。

第16回釈迦寺こころの会1第16回釈迦寺こころの会2第16回釈迦寺こころの会3

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