午年総開帳「秩父三十四観音の旅」に行ってまいりました

(第一回6月24日~25日、第二回10月22日~23日)

秩父の観音堂の御本尊様は厨子(ずし)の中に安置されていて、普段は扉が閉じられています。本年平成26年は12年に一度の総開帳の年で、秩父の三十四観音堂すべての御本尊様の厨子が開き、直接観音様のお姿を頂戴することができます。観音様と馬とはご縁があり、午年だけ御開帳となるのです。

秩父だけで三十四の観音堂がありますので、第一回は一番から二十番札所、第二回は二十一番から三十四番札所と、一泊二日で二回に分けて巡りました。それぞれのお寺に特徴や由縁があって、これだけ沢山のお寺を一気に巡っても飽きる事がありませんでした。

長い石段を上がらなければお参りできないお寺もあり、参加者から心配の声もありましたが、観音様が見守って下さった御蔭か、普段登らないような急坂も一段一段踏みしめるように登りきる事が出来ました。

旅行後のアンケートを拝見すると、総開帳の年に観音様と御縁を結んで巡拝できた喜びだけではなく、お食事や泊まった温泉宿も好評で、次回の旅行を期待するありがたいご意見もございました。

またのご参加を釈迦寺一同、心よりお待ちしております。

秩父巡礼01 秩父巡礼02 秩父巡礼03

秩父巡礼04 秩父巡礼05 秩父巡礼06

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去る10月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第23回座禅法話会が開催されました。今回も皆様と座禅を行い、御心を落ち着かせましてから、「仏教美術」という題材で、田久保明賢師と髙田良海師の御二方に御法話をいただきました。

第一座 田久保明賢師 「なぜ仏教『美術』なのか」

仏教美術という言葉がありますけれども、なんで仏教『美術』というのでしょうか。仏教に美術の要素が必要なのでしょうか。また、以前巣鴨とげぬき地蔵のおみやげに「地蔵最中」というものを頂きました。本当にお地蔵さんの姿をした最中でした。大きさや素材が違うとはいえ、なぜこれは拝まれないのでしょうか。拝む、拝まないというのはどこで変わってくるのでしょうか。

仏像に限らず仏画やお寺には、たくさんの人が拝み、大事にしてきた歴史があります。色の褪せた所、錆びた所、今は消失してしまった所、その全てに歴史があります。時には火災や震災にあったこともあるでしょう。それでも、人々が信仰し、修復の努力をし、今に残した。自身のためのほか、後世の人の為にも尽力された。このようにしてたくさんの人々が多くの時代に渡って大事にした仏像などをみますと、なによりその歴史に敬意をもって手を合わせたくなるのです。

私なりの解釈ですが、仏教美術とは技法であるとか形であるとかそういったものではなくて、今に至るまで代々受け継がれていったことを思わせる色褪せや消失、修復の後こそ価値があり、守り続けてくれた人々の思いこそが美しい。それこそ仏教の『美術』ではないでしょうか。

第二座 髙田良海師 「五感で接する仏さま」 

秋の季節は、仏像や仏画など、すぐれた美術作品に接する機会が多くあります。でもよく考えてみますと、仏さまは本来、色形を超えた存在なのです。

すぐれた仏師は次のように語っています。「仏さまはもともと木の中にいらっしゃる。私はその姿を拝みながら、余分なところを削っていくのです」と。七五調では「木の中の 仏迎える 鑿(のみ)の技」と詠われます。仏師や仏画師の巧みな技量によって、仏さまは私たちの視覚の対象となりました。そして、読経の声が響き、名香が薫る中、手を合わせ、素直な心で祈ることで、仏さまは再び五感を超えた存在となるのです。

仏像や仏画に親しく接していただくことで、仏さまの存在を心身で感じ、仏さまとともに日々の生活に励んでいただきたいのです。

次回の開催は11月30日(日)です。題材は「冬至」です。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

第二十三回「坐禅・法話会」1 第二十三回「坐禅・法話会」2 第二十三回「坐禅・法話会」3

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