第三十二回「坐禅・法話会」を開催致しました

去る8月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第32回座禅法話会が開催されました。小雨の降る中でしたが多くの方にご参加いただき、座禅体験ののち「仏教初歩入門」という題材の第三回目ということで田久保明賢師と髙田良海師の御二方に御法話をいただきました。

第一座 田久保明賢師 「南無と帰依」
今月はお盆があり、皆様もお経を聞く機会があったかと思います。その中で南無~という部分は皆様にとてもたいへんなじみやすい所だと思います。深い感謝、敬意を表す言葉です。南無は「ナモー」「ナマス」という言葉を音写したものです。
これと似た言葉で帰依がございます。どちらも良く出てくる言葉ですが、こちらは意味に合わせて翻訳したものです。なぜ、感謝や敬意を表すのに「依る」と「帰る」を使ったのでしょうか。
それは初心に帰るということだと思います。どんなにつらいことでも、振り返ってみると仏様や、身近な人、物などが助けてくれていることに気づきます。新たに何かを始める時、その道の先輩にいろはを教えて頂く。そのことに感謝するように、いつまでたっても自分が誰かに助けられていることを忘れず、深い感謝、敬意の念を持ち続けたいものです。

第二座 髙田良海師 「常・楽・我・浄の教え
この人生は移ろいゆき、苦悩に充ち、我がものならず、煩悩や欲に汚れている。仏教では「無常・苦・無我・不浄」と説きます。それに対して、涅槃(ねはん)、求めるべきは「常・楽・我・浄」であるといいます。
私たちは、うれしいことがあれば喜び、嫌なことがあれば悲しみ、悩みます。一喜一憂といいましょうか。心は無常です。そしてその心情に連れて、目の前の情景が色付けられます。移り変わるものごとを正しく受けとめ、その時、その時を大切に生きることを「常」といいます。
私たちは暑ければ暑い、寒ければ寒いと不平をいいます。苦しいことでも、嫌なことでも逃げ出したり、放り出したりすることなく、暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなりに、また年老いれば老いのままに、前向きに考えることが苦をも「楽」しむ生き方です。
私のこの身体、この心さえも、なかなか自らの思い通りになりません。でも誰にとっても自分という存在が一番大切です。そして思い通りにならないということは、家族など自分以外の存在についても同じこと。ですから、自分以外にも大切にすべき存在を増やしていただきたいのです。これが大きな「我」、自在に生きるということです。
心身を浄らかな状態に保つということが必要です。泥水(でいすい)といいますか、濁った泥水にも汚されず、花開く蓮華のように、十善、八正道という善き行いを通して心身を浄らかに保つことが「浄」の教えです。
最後に、先日仕入れた、素敵なことばを紹介しておきましょう。「今を大切に、楽しいことも苦しいことも、我と人と、ともに浄く。」

次回の開催は9月30日(水)です。次回からは仏教美術という題材でお話しいたします。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

第三十二回「坐禅・法話会」 第三十二回「坐禅・法話会」 第三十二回「坐禅・法話会」

当日の8月27日は曇り空でしたが、さほど暑くもなく、6名の参加者全員、楽しく元気に過ごすことができました。
心をあわせてのお経の練習、木魚などの鳴物にも挑戦。お昼の精進カレーは絶品、そして境内散策。感謝の心で、手を合わせ、貴重な一日を体験いたしました。ありがとうございます。

第2回「お寺で学ぼう:船橋中央」 第2回「お寺で学ぼう:船橋中央」 第2回「お寺で学ぼう:船橋中央」

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