第55回「釈迦寺こころの会」を開催しました
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2015年11月22日
第55回「釈迦寺こころの会」を開催しました
11月11日(水)55回目の釈迦寺こころの会が開催されました。
「三井寺と釈迦寺」という事で第1座は 三井寺のビデオを鑑賞。
第2座は青柳信證住職による萬徳院釈迦寺の昔と、千葉の地にご縁を得た流れが話されました。
2015年11月03日
第三十四回「坐禅・法話会」を開催致しました
去る10月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第34回座禅法話会が開催されました。午後2時半よりまずは座禅を体験して頂きました。その後、休憩をはさんでから「仏教美術」という題材の2回目として田久保明賢師と髙田良海師の御二方に御法話をいただきました。
第一座 田久保明賢師 「ありのままを見る」
海外のテレビ番組で、家具屋にて新しく市販される絵画を新しく見つかった有名な作家の遺作として紹介し、街ゆく人に感想を聞くという悪戯番組がありました。ネタが明かされた時、町の人は恥をかくのですが、こういう話は過去にも多くございます。今回は吉田兼好の『徒然草』の内、
第236段の話から、無理に芸術面に対し理解ある人のように振る舞わないこと
第52段の話から、疑問に思ったことは思い切って聞いてみること
第88段の話から、有名、無名などは忘れて、自分が見てどう思ったかを大事にすること
以上の話から、当時の人々の失敗談や変わった生き様を教訓として紹介させていただき、ありのままを見る大切さをお話させて頂きました。
第二座 髙田良海師 「大日の光として生きる」
密教マンダラの仏さまである大日如来という、その名称の意味するところについてお話しいたします。「大日」の「日」は太陽を連想させます。その通り、大日という仏は、天体の太陽に似て、生きとし生けるもののすべてを遍く平等に照らし、私たちの心の中のうちにある無明・煩悩の闇を取り除くという働きをそなえています。専門用語では、それを「除暗遍明(じょあん・へんみょう)」といいます。さらに太陽の光エネルギーが生命の源となるのに似て、大日は無限定の大悲をもって、生きとし生けるものの善根の発芽を促し、すぐれた人格へと成育させます。同じく「能成衆務(のうじょうしゅむ)」といいます。天体の太陽にはときおり厚い雲がかかり、日光を覆い遮るときがありますが、決して無くなってしまったわけではありません。しかし天体の太陽は、そして私たちの住むこの地球を含め、どちらもいつかは消滅してしまいます。一方、大日の光は始まりもなく、終わりもない、不生不滅であり、過去・未来・現在の三世にわたって常に輝く存在であるといいます。それを「光無生滅(こう・むしょうめつ)」といいます。太陽の光はこの地上においては昼夜の区別、日向日陰の隔てなどがありますが、大日の光は分け隔てなく、すべてを遍く平等に照らします。ですから、「日」に大きい・多い・勝れているという意味を含め、「大(maha摩訶)」を付して「大日」というのです。
私たちの命はいわば有限です。しかしこのいのちがつきるまで、毎日の生活を通して自らに与えられた課題に努めながら、他者の喜びを自らの願いとして、他者とともに元気に生きることは可能なのです。大日如来の除暗遍明、能成衆務、光無生滅という自利利他円満の三つの徳性は、私たちに大日如来の光として生きるということを教えているのです。
次回の開催は11月30日(月)です。次回は仏教美術の3回目をお話しいたします。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。