釈迦寺メールマガジン

[第1号 2011/10/28]『般若心経』難しいのは当たり前?

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[INDEX]

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【1】ごあいさつ

【2】『般若心経』難しいのは当たり前?

【3】般若心経【なぞなぞ篇】

【4】般若心経【標語篇】

【5】おわりに

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[1]:ごあいさつ

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本日より、釈迦寺・仏教綜合学院によるメール・マガジンを発刊いたします。

通常の内容は、『仏教初歩入門』の解説、仏典から学ぶ人間学、仏教書の紹介、

釈迦寺僧侶のつぶやき、読者による投稿などで構成する予定です。

今回は手始めとして、『般若心経』をめぐるお話です。

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[2]:『般若心経』難しいのは当たり前?

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『般若心経』は、迷いにある私たちを悟りへと導くに充分な内容を有しています。

「簡にして要なり、約やかんじて深し。誦持・講供すれば、すなわち抜苦与楽し、

修習・思惟すれば、すなわち得道起通す。甚深の称、誠によろしくしかるべし」

とは弘法大師・空海のことば。『般若心経』は難しいのは当たり前。

だけど『般若心経』は、私たちにとって、最も身近なお経。

ここでは『般若心経』の核心に触れることのできる、なぞなぞ、または標語を

作成してみました。

がんじがらめになったお頭(つむ)を柔らかくして、お楽しみください。

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[3]:般若心経【なぞなぞ篇】

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Q1. 「心無?礙」についてのなぞなぞです。とるべき心の「しみ」は?

(答えは三つあります。)

 

【答え】

苦しみ、憎しみ、悲(かな)しみ。苦しみを楽しみに、憎しみを慈(いつく)しみに、

悲しみを憐(あわ)れみに、変えることができますように。

 

Q2. 年をとればとるほど近くなるものは?

(人によって答えはそれぞれです。)

 

【答え】

新聞紙(老眼が進めば、知らず知らず、新聞紙に顔を近づけてしまいます。)

他に、死、トイレなどがあります。老いは嫌なものですが、嫌がるばかりでは

どうしようもありません。

老いを受け入れ、無理はせず、実りある、静かな最期に向かいたいものです。

 

Q3.きれいにすればするほど汚れるものは?

(小学生でも答えられる、古典的ななぞなぞです。)

 

【答え】

雑きん。珍回答として、「お肌」がありました。そのこころは?

一生懸命にお化粧をしてきれいにしているのに、時にはお肌にダメージを

与えてしまいます。皆さま、気を付けましょう。

 

Q4. 目を閉じて、耳を塞(ふさ)げば、見えて、聞こえてくるものは?

 

【答え】

人の素直な気持ち、自然のありのままの姿、など。

「目を閉じて何も見えず」とは谷村信司さんの「昴」の一節。

しかし一日中、目はいろんな色・形を見っぱなし、耳は音を聞きっぱなしでは、

情報にながされてしまいます。一日のうち、数分だけでも、目を閉じ、耳を塞ぎ、

自らの心を顧みる時間の余裕を持ちたいものです。

これは「無眼耳、云々」に関するなぞなぞでした。

「きらびやかな色彩は目をまどわせ、妙なる音楽は耳をくるわせ、

美味は舌をまひさせる。ゆえに聖人は心を本として目を本としない。」『老子』、

「心だけが、正しくものを見ることができるのさ。ほんとうに大切なものは

目には見えないんだよ」『星の王子さま』

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[4]:般若心経【標語篇】

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「不生不滅」は、生命(いのち)の大きな流れとしても理解できます。

決して無から有は生じません。有であるものは、たとえ消えてしまったとしても、

無となった訳ではありません。そこで標語。

「今年はお爺さんの七回忌。可愛い初孫、生れました。」

「産婦人科病院の前の道を走り抜ける、霊柩車」など。

毎日のように多くの人が逝去し、また多くのいのちが生れています。

それは人間だけでなく、いかなる生きものも同じこと。

そしておそらく宇宙天体でも、どこかの星が消滅し、いずれかの星が誕生して

いるのでしょう。生命(いのち)の流れは、途絶えることはありません。

 

「不増不減」。増えたり、減ったりするのは当たり前。

決して増える一方ということも、減るばかりということもありません。

だけど、私たちは貯金を増やすことだけを考えています。だから『心経』は

「不増不減」と教えてくれるのです。そこで標語。

「豊かさを味わうためには量ではなく、満足する心が必要不可欠」

 

「不垢不浄」は「垢つかず、浄からず」と読みます。いつまでも汚れたままではなく、

また綺麗な状態を保たれるわけないと理解することもできます。

たとえば、靴下が汚れたなら、洗えばいいのです。穴があけば繕(つくろ)えば

いいのです。

また車を新しく買ったならば、いつまでも新品の状態をキープしようとやっきになり、

少しでもキズがつけばがっかりしてしまいませんか。「不垢不浄」とは、私たちの物に

対する執着の心に反省を促しているのです。

「汚れれば洗えばいい、壊れれば直せばいい、物は最後まで大切に使うがいい」

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[5]:おわりに

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最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

みなさん、第1回目のメールマガジンはいかがでしたでしょうか?

今後も仏教を通じて、生きていくための糧となるようなお話をご紹介していきますので、

楽しみにしていてください。

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