釈迦寺メールマガジン

[第3号 2011/12/28] 般若心経に出てくる仏教要語 その一・阿耨多羅三藐三菩提

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[INDEX] 般若心経に出てくる仏教要語 その一・阿耨多羅三藐三菩提

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【1】お経の中には意味不明の文字がたくさん

【2】阿耨多羅三藐三菩提・無上正等覚

【3】仏のさとり

【4】人生の目的

【5】プチ悟りの勧め

【6】付録・三世諸仏

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[1]:お経の中には意味不明の文字がたくさん

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お経の中には、漢字の字面(じづら)だけでは意味の分からないことばが

少なからずあります。たとえば南無(なむ)、摩訶(まか)、三昧(さんまい)

などがそれです。これらはそれぞれ、古典インド雅語であるサンスクリット

語の発音ナモー(namo)、マハー(maha)、サマーディ(samadhi)を漢字に

そのまま写したもので、音写語といいます。なぜなら「摩訶」という語には、

大・多・勝の意味が指摘され、複数の意味をひとつの漢字では表現でき

ないので、音写という翻訳方法が用いられるのです。

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[2]:阿耨多羅三藐三菩提・無上正等覚

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今回は『般若心経』で用いられる音写語の中から「阿耨多羅三藐三菩提

(あのくたら・さんみゃく・さんぼだい)」を取り上げてみましょう。

『般若心経』の一節には「三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提

(三世諸仏の、般若波羅蜜多によるが故に阿耨多羅三藐三菩提を得る)」

とあります。「阿耨多羅三藐三菩提」はアヌッタラ・サンミャク・サン

ボーディ(anuttara-samyak-sambodhi)の音写語で、「この上なき(アヌッタラ)、

正しく・真実なる(サンミャク)、完全な悟り(サンボーディ)」というのが

文字の意味であり、ときには「無上正等覚」とも意訳されます。

この場合、「阿耨多羅」は「無上」に、「三藐」は「正」に、「三菩提」の

「三」は「等」に、「菩提」は「覚」に対応しています。

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[3]:仏のさとり

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「阿耨多羅三藐三菩提」とは、仏のさとり、仏のさとりの智慧のみを

指して用いられることばです※。仏さまは「自覚覚他覚行窮満

(自らさとり、他をさとらせ、さとりのはたらきが窮まり満ちている)」

とも表現されます。このうち「自覚」は迷いから脱していることをいい、

「覚他」とは分け隔てなく、大いなる慈悲のこころをもって他者を救済

すること、「覚行窮満」はさとりに必要な六波羅蜜多の修行が完成に達し、

その果報である仏果が円満であることをいいます。「無上正等覚」の場合も、

「正」は邪に対するものであり、それは「自覚」に相当し、「等」は偏に

対してあり「覚他」に相当し、「無上」は未、もしくは分に対してあり

「覚行窮満」に相当すると解釈することができるでしょう。仏のさとりとは、

このような意味において「この上なき、正しく・真実なる、完全な悟り」

といわれるのです。

※「般若波羅蜜多」も仏さまの智慧を意味することばであることは、前回

第2号で記しました。

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[4]:人生の目的

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私の先生は「最高の幸せとは『悟る』ことにある」(山崎泰廣『阿字観瞑想入門』)

と言いきっておられます。私たちの生命(いのち)の営みは、大小・偏邪

さまざまな悟り・気付きをたどり、軌道修正を繰り返しながら、さとりへと

前進していくところに、その価値があるのではないでしょうか。

人生の中心に阿耨多羅三藐三菩提を求める心・菩提心をすえて、日々弛む

ことなく、歩んでいきたいと、私たちは望みます。

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[5]:プチ悟りの勧め

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阿耨多羅三藐三菩提、この上なき仏のさとりを体得できるまでには、

随分時間がかかることかも知れませんが、部分的な悟りともいうべきもの

は日常的に積み重ねることができます。

たとえば、食べ物に対するむさぼりの心が節制できた、今日一日は腹を

立てないで済んだ、等々。

ただしこれらが悟りであるためには、「不退転」という条件が必要と

なります。

いちど悟れば、もとの迷いの状態には戻らない。

今日はできても、明日ができなければ、それはそれだけのこと。

私たちは「すべて作られたものは移り変わり、一瞬として同じ状態にとど

まることはない(無常)」、「すべてが自分の思い通りになるわけでは

ない(一切皆苦)」などの教えを学びつつ、むさぼりの心、怒りの心の

生じる原因を明らかにし、過度に煩悩が起こらないように努めます。

不退転には智慧の学びが欠かせません。

このような小さな、部分的な悟り、気付きを「プチ悟り」と名付けましょう。

「プチ悟り」体験は私たちを着実に阿耨多羅三藐三菩提へと導いてくれます。

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[6]:付録・三世諸仏

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付録として、「三世諸仏」についての設問を用意しました。三世諸仏とは、

かつて悟りをひらき、そして既に般涅槃、入滅された過去の諸仏、現在

活動中の仏さま方、将来悟りをひらかれるであろう未来の諸仏という意味

ですが、ではお釈迦さまは、過去・現在・未来のいずれに配当される

でしょうか。

答えは、近日中に釈迦寺ホームページにて公開いたします。

本文についての忌憚なきご意見、ご質問を頂戴いたします。

釈迦寺ホームページよりお寄せくださいますよう、宜しくお願い申し上げます。

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