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[第7号 2012/05/03] 色即是空、空即是色
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[INDEX] 色即是空、空即是色
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【0】般若心経のハイライト「色即是空、空即是色」
【1】解釈方法・その一「こしひかり」と「お米」
【2】解釈方法・その二「富士山」と「日本一の山」
【3】解釈方法・その三 否定と肯定
【4】『般若心経』に関する図書案内
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> [0]:般若心経のハイライト「色即是空、空即是色」
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だれでも知っている有名な一句「色即是空、空即是色」。
これが『般若心経』のハイライト。すごいことが述べられているよう
ですが、何だかよく分からない。以下、私の納得する解釈方法として、
三つをご紹介します。
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> [1]:解釈方法・その一「こしひかり」と「お米」
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まず、解釈方法・その一。
ここでは「色」をお米の銘柄である「こしひかり」、「空」を「お米」に
置きかえて考えてみましょう。
「色即是空」は「こしひかりはすなわち、これお米なり」となります。
これはいいですね。誰ですか、これは美味しそうだといっているお方は。
次に「空即是色」となるように、「こしひかり」と「お米」の語順を入れ
かえて、「お米はすなわち、これこしひかりなり」はどうですか。
これはいただけません。なぜなら、お米の銘柄には、こしひかりのほかに、
秋田こまちや、きららなどたくさんの種類があるからです。
「お米はすなわち、これこしひかりなり」を意味のある表現とするためには、
少し手直しする必要があります。
すなわち「お米といえば、やっぱりこしひかりだよね」と理解するのです。
もうお分かりかと存じますが、「空即是色」は、「色即是空」の繰り返し
という以上に、「色即是空」をより強調した言いかたとなっているのです。
先のたとえであれば、私がいま食べている「こしひかり」は「お米」ですが、
秋田こまちとか、きららなどではないですよ、といっているのです。
すなわち、解釈方法・その一では「色即是空、空即是色」は、
いま・この色(いろ・かたちあるもの)は空、すなわち、たんなる色(しき)
一般でもなければ、実在と考えられる色などでもない。
色の自性(じしょう)を欠いたものであり、色自体が空に他ならないという
ことを主張しているのです。
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> [2]:解釈方法・その二「富士山」と「日本一の山」
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次に解釈方法・その二。
ここでは「色」を「富士山」とし、「空」を「日本一の山」としてみましょう。
「富士山はすなわち、これ日本一の山なり」も、「日本一の山はすなわち、
これ富士山なり」も、真偽でいえば、どちらも真の命題といえます。
では、先の「こしひかし」と「お米」の場合と、どこがちがうのでしょうか。
「日本一の山」といえば、やっぱり「富士山」であり、「富士山」以外に、
日本一標高の高い山は存在しないからなのです。
少しむつかしい用語ですが、これを「同延」といいます。
おそらくこの二つの解釈方法が『般若心経』として最も基本的な理解では
ないかと、私は考えています。
すなわち、解釈方法・その一は、色(いろ・かたちあるもの、色一般)に
対する、色は自性をもつ、色は不変であるといった、さまざまな誤った理解を
排除するために言明なのであり、解釈方法・その二は、その否定作業、排除が
完成した段階での言明。
心にケイ礙がなくなったときの「五蘊皆空」「諸法空相」とのさとりを自在に
表現しているのであると理解できるからなのです。
ここでは、色と空は、もちろん意味内容は異なりますが、同一のものとなって
いるのです。
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> [3]:解釈方法・その三 否定と肯定
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前回「空(くう)とは、基本的には否定的なことばづかいなのです」と申し
ました。また「空の思想は肯定的な意味合いを加えながら、より深められて
いきました」とも書いておきました。
第三の解釈方法は空の有する否定と肯定の機能に注目します。
ひとことでいえば、「色は色ではない。ゆえに色である」となります。
色(いろ・かたちあるもの)をはじめ、受・想・行・識のすべては、
ひとたびは必ず、空であるとの否定を受け、正しく自覚されねばなりません。
色等に対するとらわれ、執着を離れてこそ、はじめて本当の色が顕わになる。
たとえていえば、色眼鏡をはずす作業が「色即是空」であり、その結果として
見えてくる色が「空即是色」であるともいえるでしょう。
したがって「色即是空」の「色」と「空即是色」の「色」は、意味合いが
まったく異なっているのです。
ここに一つのケーキがあるとしましょう。このケーキは自分ひとりのもので
あると考えるならば、自らのお腹を満足させるものでしかありません。
しかし、まわりの状態を知りえる、わずかな知恵があるのなら、このケーキは
小さくとも、幾人かに分かち、幸せを共有することができることが知られる
のです。あるいはそのケーキを売って、金銭に換えることも可能でしょう。
ものを正しく活かす知恵が空・般若の知恵でもあるのです。
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> [4]:『般若心経』に関する図書案内
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今回も何だかよく分からない、というお叱りの声が聞こえてきそうですね。
私自身も以上の論述で良いのか、再度考え直してみなければなりません。
般若心経に関する多くの書籍がありますが、下記のものは、いずれも
仏教学研究に基づく、般若心経の信頼のおける解説書です。
平川 彰『般若心経の新解釈』/世界聖典刊行協会、1982.
奈良康明『般若心経講義』/東京書籍、1998.
立川武蔵『般若心経の新しい読み方』/春秋社、2001.
竹村牧男『般若心経を読みとく』/大東出版社、200.3
渡辺章悟「般若心経・テクスト・思想・文化』/大法輪閣、2009.
※次回は「乃至」という語をめぐってのお話しを予定しています。
(執筆担当者 良海)