お知らせ
2012年06月20日
第15回「釈迦寺こころの会」『仏教聖典』に関する質疑
質問(1)
「すべてのものは苦である」ということは仏教の根本思想の一つです。「苦」には、逼迫、損悩の意味が指摘されますが、その内容が生・老・病・死の四苦、さらに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五取蘊苦(五盛陰苦)を加えての八苦であることからも知られるように(※四苦・八苦で十二苦ではありません)、「苦」とは、ただ、苦しい、苦しみをいうのではなく、「ままならぬ」という意味でもあるのです。
そこで質問がありました。五取蘊苦は、有情(衆生。生きもの、特には人、個体存在)を形成し、「取着される色・受・想・行・識の五蘊(※羅什は「五陰」と訳す。蘊はあつまりの意、種々の種類のものを一括して聚説する意)から生ずる身心の苦悩」をいい、したがって、前七苦を総括して、生きている限り感受する苦、生存の苦をいいますが、では「生苦」の「生」の意味と、どこが違うのですか。
はい。生苦の生とは「生きること」ではなく、「生まれること」を意味します。ではなぜ「生まれること」が苦であるのかといえば、生まれなければ、老いることも、病むことも、死ぬこともありません。生ある者には、老・病・死は避けられない。ですから「生まれること」(「再生」も含めて)を「苦」と捉えられるのです。たとえば、私はこういう家庭に生まれたかった、という悩み。このように自分の「生」も「ままならぬ」ものなのです。また生苦は、生まれる苦でありますが、誕生のときに味わう、せまい産道を通りぬける苦であるとも説明される場合もあります。
質問(2)
関連で質問があります。どうぞ。「五取蘊苦」の五蘊については少し勉強しましたが、「五盛陰苦(五陰盛苦)」ということばもあります。特に「盛」とはどのような意味なのですか。
はい。中村元編著『仏教語大辞典』より「五陰盛苦」の項を参照してみましょう。そこには「盛は、五陰(筆者注。五蘊に同じ)の作用の盛んなことをいうとして、また五陰の器(筆者注。五蘊仮和合の有情・衆生)に衆苦(筆者注。多くの苦)を盛る意味であるともいう」とあります。ただし「五陰の作用の盛んなこと」とは、心身の働きが健康体であるなどという意味ではなく、煩悩の働きがであり、執着する、という意味なのです。煩悩に執着される五蘊から生ずる苦という意味です。このように考えれば、「五取蘊」の意味とも通じるのです。五取蘊とは有漏(うろ。有染ともいい、煩悩があること)である五蘊をいい、取とは煩悩の異名なのですから。
質問(3)
無常(つねならず)、苦(ままならぬ)、無我(われ・わがものならず)については、少し理解できるようになりました。そして本日はその根底に縁起・縁起生(さまざまな因縁によって結果として作りなされたもの)という考え方もあることも学ぶことができました。ありがとうございます。そこで質問です。無常、無我がものごとのありのままの姿であることはよく分かるような気がしますが、しかし『般若心経』等にある「不生・不滅」等が、ものごとの真実の姿・空なることであるとしても、無常と矛盾するようにも受けとめてしまうのです。どのように理解すればいいのでしょうか。
はい。無常、無我も、不生・不滅等のいずれも縁起・縁起生であることを根拠にしています。たとえば次のように説明することができます。「不生」とは不生の生をいうのであり、不滅とは不滅の滅をいうのです、と。空であるから、実体として生ずること、生じたものではなく、さまざまな因縁によって生じたものであるということ。不滅の場合も同じ。生じては滅する、生滅を繰り返すに過ぎないもの・こと、そのありさまを「不生・不滅」と表現しているのです。最も大雑把な説明をすれば、私は52年前に生まれました。そしてあと何十年もしないうちに私という存在は死をむかえる。ただそれだけのこと。だけど大切な生、心無ケイ礙の心根でもって生き、お人に役立ちたい。
質問(4)
煩悩と菩提、迷いとさとりについて「迷いを離れてさとりはなく、さとりを離れて迷いはない」とありましたが、いまいちよく分からないのですが。はい。それを説明するたとえとして、汚泥に生じる蓮華が指摘されるのです。もういちど、本文をご覧ください。(和英対照本p.125, ll.1-3)本文は『維摩経』の一節に基づいたものです。
また「煩悩がそのままさとりであるところまで、さとりきらなければならない」ともありますが、どのように受けとめればいいのでしょうか。
はい。煩悩の代表格である、むさぼりや、いかりなどは、お馬鹿な、やっかいな心の働きなのですが、ある意味、生きるために必要な心のエネルギーではないでしょうか。自己中心的に、愚かなままに働いてしまう心が煩悩であり、負のベクトルに向いている。人の役に立つという正のベクトルに方向を変えてやれば、煩悩と呼ばれる心の働きがそのまま慈悲という仏ごころになるのではないでしょうか。たとえば、煩悩は危険なもの(riskリスク)ですが、薬(くすり)に変えることができるのです。だけど、そのためには、必ずものごとを正しく見る智慧が必要となりますのでご注意ください。