お知らせ

2013年09月04日

第十回「坐禅・法話会」を開催致しました

去る8月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第10回座禅法話会が開催されました。
高田良海師による座禅で心身を整えたのち、「浄土」という題材で、江島靖秀師、平野将祐師の御二方に御法話を頂きました。

第一座 江島靖秀「お彼岸に際し―メーテルリンク『青い鳥』より」
ご先祖様、故人様をお偲びするよすがに、メーテルリンク作『青い鳥』(1908年発表、1911年ノーベル文学賞受賞)の一場面を紹介しました。
この物語は、チルチルとミチルの兄妹が、幸せの象徴である青い鳥を探し求めて旅をするお話しです。その中に「思い出の国」という死者の赴く国で、亡き祖父母に再会する場面があります。
そこで語られるのは、この世で私たちが故人様を思い出すことは、あちらで両者が再会していることになること、そして、「思い出の国」には「死」という言葉、概念が存在しないこと、つまり「いのち」は続いている、生き通しである、ということでした。
この物語が、ご先祖様のご供養や、身近なお方を亡くし悲しんでおられる方々に、少しでもお役に立てばと思い、ご紹介させていただきました。

第二座 平野将祐「浄土への憧憬―富士山『世界文化遺産登録に想う』―」
浄土とはどこにあるのか?
中世の日本人が抱いた永遠のテーマに思いを馳せると、中世の人々が抱えていた「苦悩」に行き当たるのです。
釈尊の入滅から時間が過ぎ去り「末法」という終末論が人々の不安を煽り、遠くインドを離れた辺境の小国=粟散辺土(ぞくさんへんど)とされた日本は仏教に縁遠い国という「劣等感」が支配していました。
しかし先人は新たな教えを隣国に求め、時に原点に立ち戻り、時に純化して「新仏教」を豊饒成さしめたといえます。
「浄土」に関しても各地の霊山、霊地に信仰を見出し、独自の山岳信仰が盛んに行われます。
中でも「富士山」に対する信仰こそは日本人の深層に深く刻まれているといえるでしょうか。
今、世界の人々に評価を受ける富士山の姿に私たちの先人達が求めた「浄土」に思いを馳せ、畏敬をもって守り伝えたいものです。

次回の開催は9月30日(月)です。次回の題材は「不動明王」です。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

第十回「坐禅・法話会」1第十回「坐禅・法話会」2

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