お知らせ
2015年04月01日
第二十七回「坐禅・法話会」を開催致しました
去る3月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第27回座禅法話会が開催されました。まずは座禅を皆様と行いました。法話会は、今月から3回に分けて「古寺巡礼」という題材でお話しさせていただきます。今回は田久保明賢師と髙田良海師の御二方に御法話をいただきました。
第一座 田久保明賢師 「なぜ旅にでるのか―巡礼の意義―」
皆様は『荘子』のなかに出てくるこんなお話を御存じでしょうか。
北の海に鯤という、とてつもなく大きな魚がいる。鯤はある時姿形が変わって、これまた大きな鳥となった。その名は鳳という。鳳は海が荒れ狂う時になると翼をはためかせ、九万里も高く飛び上がり南の島を目指す。鳳の体を支える為それほど高く飛ぶのだが、この様子をみたセミや小鳩は、自分たちは木の枝から枝に飛ぶのだって大変で、それすら失敗し落ちてしまうこともある。鳳の行動は大げさで無駄だと笑う。
このように、鳳の心はセミや小鳩にはわかりません。巡礼もまた同じく、巡礼に出るもの、でようとするものにしかその意義を見出すことは出来ません。また、巡礼することによって得られる体験、感想は人それぞれです。例えば、同じお寺をみても皆が同じ感想を持つわけではありません。すべてがほかの誰でも味わうことの出来ない唯一のものです。
交通機関が発達した現代でも巡礼に苦労が無いわけではありません。ですが、セミや小鳩の心ではなく、鳳の心で自分だけの体験・感想を求めてみてはいかがでしょうか。
第二座 髙田良海師 「桜と人生 ~咲くと笑う~」
お経の中には、あまり多くはないのですが、「咲」という漢字が用いられています。「面咲(めんしょう)」「眉咲(みしょう)」など。「微咲(びしょう)」という用例もあります。「微咲」は「微笑」と同じです。「咲」という字は、古くは「笑」という意味でも用いられていたのです。お顔がほころぶ、お顔が咲くといえば、笑う、微笑むという意味なのです。「咲」くという漢字は音読みでは「咲(しょう)」と読みます。咲(さ)くは笑(わら)うに通じるところがあるのです。
桜は春になると毎年花を咲かせてくれます。若い木は若い木なりに、勢いある木は力強く、老いた木は枝も折れよとばかりに力を振り絞り、たわわに花を咲かせます。私たちが咲かせる花は「心の花」です。桜にならって、私たちも周りのお方の心を和ませることができる、微笑みの花を毎日咲かせたいものです。
次回の開催は4月30日(木)です。次回は古寺巡礼の第2回をお話しいたします。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。