お知らせ
2015年08月08日
第三十一回「坐禅・法話会」を開催致しました
去る7月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第31回座禅法話会が開催されました。皆様と座禅をして心を落ち着けてから、「仏教初歩入門」という題材の第二回ということで寺地昭厳師と平野将祐師の御二方に御法話をいただきました。
第一座 寺地昭厳師 「正念とお盆」
正念=八正道(八つの正しい道)の中のひとつで正しい心のかた向け方、専念と言います。
専念とは、ただ一つを念じて他に心をよせざる事を言います。
お盆はご先祖様、故人様がお家に帰って来られます。しっかりとお迎えの準備をして「無事に過ごさせてもらっております。ありがたい事です」という感謝の言葉をもって手を合わすことに専念してみましょう。
第二座 平野将祐師 「悔い、誓い、戒めそして施す。―勤行における偈文の功徳について―」
皆様と御一緒に勤行致します時はお寺からお配りさせていただく「仏教初歩入門」を用います。特に13ページからの「萬徳院釈迦寺勤行次第」が中心です。
懺悔文、三帰禮文、開経偈、御経(般若心経や観音経偈)、舎利禮文、法句経、仏名、普回向。と構成され、偈文は音読、訓読が併記されております。この勤行の手引きに触れると奥深いものだなと感じ入ります。
単に御経を読むと言うよりも、そこには日頃疲弊した私たちの心身をリフレッシュさせ仏様とその御教えに向き合うための「準備運動」とも言える智慧が詰まっているのです。その心は、御経の前後に唱えられる「偈文」に見ることができます。前後の偈文の意義を掘り下げてまいりましょう。
まずは懺悔文です。懺悔とは全身全霊で罪を悔いる事です。自らの日頃の悪行を悔い仏さまに告白し、許しを請う気持ちを表していると言えます。修行の階梯から考えますと「悔過」と申します。
ほとけ様に五体をなげうち礼拝し、御足を頂き、すがる思いで心身をさらけ出します。この偈文にこめられた「自身との向き合い」の刹那、心して「悔いる」ことから勤行に臨んで下さい。
次に三帰禮文です。仏(仏陀)、法(真理)僧(仲間)の「三宝」に自ら誓いを立て、唱えるたびに「入門の宣誓」を行っていると言えます。「戒め」を身に纏うこの宣言は修行の階梯においては「受戒」に通じていると思います。それも指導者を必要とせず、「生身の仏」を心に感じ、誓いを立て、戒めを守る「自誓自戒」の精神に通じると思います。
続いて開経偈です。今まさに仏さまの御教えに近づけることに対する「歓喜」そして「決意」の言葉です。この偈文は出典が明確ではありません。中国の伝承では世に名高い女性の皇帝「則天武后」が「神秀」と「慧能」と言う高僧を長安の都に招聘したとき、都の城門ですべての臣下、人民が平伏し迎え入れたそうです。この時に皇帝、自ら作り唱えたものだとされます。孤独な女皇帝の心からの喜びこそが仏法であつたとしても不思議ではありません。法を聞く心に階級は関係ありません。
次に御経を読みます。真っ白な清浄な心で、急がず、緩まず、一字一字を大切に読んでください。それ自体が「宝物」と理解して向き合い大切にして下さい。「初歩入門」においてはそれで充分です。
最後の普回向に参ります。「回向」とは自らの行った善行の果報を自分だけが楽しむのではなく、周りの人々にも回し、向かわしめ、ともに心の安楽を願う慈悲の実践をあらわす言葉(行動)です。 日々仏さまと向き合い心穏やかなる真理の大船に乗り、俗世の荒波を越えようとするものに僧俗の差別はないのです。簡単なものにこそ「真理」があり、意味が深いと感じずにはいられません。ともに心して日々の勤行に励みたいものです。
参考文献 塩入良道『お経 天台宗』講談社 1983
次回の開催は8月30日(日)です。次回も仏教初歩入門という題材で第3回目をお話しいたします。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。