お知らせ
2016年05月03日
第三十九回「坐禅・法話会」を開催致しました
去る4月30日、萬徳院釈迦寺船橋中央に於いて、第39回座禅法話会が開催されました。ゴールデンウィークの最中ではありますが、多くの方にご参加頂きました。今回は5月23日にバスツアーで訪れます「成田山」という題材で大浦弘俊師に、また、射場良秀師にはとあるお婆さんのことを通じて御法話をいただきました。
第一座 大浦弘俊師 「成田山信仰と不動明王」
来月の5月23日は当寺の成田山新勝寺バス参拝がございます。先立ちまして、成田山御縁起と、本尊の不動明王様についてお話し申し上げます。
遡ること平安中期、「平将門の乱」が起こり、その討伐の為に朱雀天皇が寛朝大僧正に将門降伏の護摩祈祷を勅命します。そこで寛朝大僧正は、弘法大師が彫刻開眼された不動明王様を千葉の公津ヶ原に安置し、三十七日間の祈祷の末、平将門を打ち破ります。不動明王様を京都に持ち帰ろうとすると、盤石のごとく動かず、明王様告げ曰く「この地に留まり、東国を守護し、利益せん」と。寛朝大僧正感銘し、朱雀天皇より領地を頂き、新勝寺の開基となるのです。
新勝寺の名は、「新戦剋勝」の故事より朱雀天より賜ったものです。
江戸になって、市川団十郎が歌舞伎にて成田山の不動明王を演じ、江戸庶民に成田山信仰が広がっていきます。江戸庶民の成田山詣でが広がり、本堂や成田街道も整備されていきます。明治には鉄道も整備され、参詣者も増えていきます。その陰には歴代の貫首様の大変な御尽力があるのでした。今回の法話は、その歴代貫首様の功績にも触れ、近代教育にも力を注いでこられた成田山新勝寺について浅学ながらお話しさせていただきました。
第二座 射場良秀師 「十八番」
私の知人に、現在98歳のお婆さんがいます。
その方は、娘や孫に連れられて出かける時、辻々に立っているお地蔵さんを見つけるとすぐに合掌を致します。見えにくくなった目で誰よりも早く見つけ、非常に美しい所作で合掌します。なぜそんな事を続けているのかと申しますと・・・・。
三日坊主と有るように続ける事が苦手な私達。何事も続ければ「行」(ぎょう)となり「行」は大いなる「果」(か)をもたらす。そして「果」がうっすらと見えるまで続けられれば「行」は「楽」(ぎょう)へと変わる。得意中の得意を一番と言わず十八番と呼ぶようになった謂れの1つ、弥陀の十八願(至心信楽の願・ししんしんぎょう の願)とその実践者で有る老女の生きざまを伝えながら、お話し申し上げました。
合掌
次回の開催は5月30日(月)です。次回は、『観音経』という題材でお話させていただきます。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。